去年の11月、私は飼っている猫の一匹を亡くした。初めて死を感じた。
去年の11月、私は飼っている猫の一匹を亡くした。
私と彼女はあまり一緒には居なかったけれど、去年の春先に戻ってきてからは大人しくて愛想のいい彼女を字のごとく猫かわいがりしていました。一緒にいた時間だけで言えば母の方がずっとずっと長いけれど、彼女は多分私に懐いていたように思います。
彼女は元々山頂にある母の勤め先で過ごしていた野良猫で、他にも保護している成猫達と助け合って生きていました。その場の誰もが彼女達の子ども姿を見た事がないほど、保護されたときにはもうすでに十分な大人でした。
そして仕事も落ち着いて日常へと戻ったかと思ったある日、母が「たんたんはもうすぐ死んでしまうかもしれないね。」と言いました。なんで?と聞くと毛に艶が無くなって、毎日しんどそうだからと言います。確かにもういいお歳だし、毛がぼさついてるとは思っていたけれど、その時はまさかそんなにすぐ調子が悪くなるとは思っていませんでした。
その二日後に彼女は息も絶え絶えで動かなくなってしまった。
ちょうど私が帰宅したら猫の調子が悪いと母から聞き、様子を見ると部屋の隅で丸まって動かない彼女がいました。幼い頃親戚の葬式に参列しても泣かなかった私が、初めて明確に身近な死を感じて泣いた時間でした。
今この手にある温かい小さな命がもうすぐ消えるとはとても信じられなくて彼女を撫でながらただ泣くしかできませんでした。
それから、もう遅い時間ではありましたが行きつけの動物病院への予約を急遽入れ、診てもらいました。憔悴した私たちに優しく、医師は私たちにどうしたいかを問います。
「この子は優しいからできるだけ心配させないように今まで何でもないように装ってたんだと思う。苦しくても延命させるか、できるだけ苦しまないように鎮痛剤だけ打って様子を見るかどうしますか。」
私たち家族は普段から死生観について話し合いをしています。家族を苦しめてまで延命措置したくはないし、自分もしてほしくないという考えが家族の総意でした。
数日後、私と私のパートナーと母がたまたま揃って動物病院に行った時に彼女は眠るように亡くなりました。
医師曰く、家族が揃うのを待ってたのかもしれないね、とのことでした。
彼女を火葬する際は簡素な花束をこさえ、小さな火葬車を用意してもらって一人の担当者にお任せしました。悲しくて寂しかったですが、私たち家族は不思議と穏やかでした。
風が吹き曝し小雨がしとしとと降りしきる中、この子は今までこんな場所で過ごしてきたのかと思えば火葬する間とても穏やかだったのです。
こうして記事に残すのは少しでもその時の気持ちを忘れない為。人間は古い感情を薄めていく生き物だから、こうすることで彼女に許してもらえればと思います。
記事にしている間も何度も泣きました。悲しくなれる間はまだ覚えていられることに少しほっとしています。