LIFEluencer

LIFEluencer(ライフルエンサー)は毎日を控えめに彩れるような情報を取り扱っているウェブサイトです。ガジェット・ツール・便利グッズ等の情報発信はもちろん、「お母さん」が作るナチュラルでかわいいハンドメイド品の販売もしています。

MENU

自分を大事に出来ない結婚生活はしないという選択肢

今回のお話は私の結婚生活の話です。これは受け入れられないわ!と思った方は記事の途中でもすぐにブラウザバックしてください。私が悪い、元夫が悪いというお話ではなく、これが私の人生の一部であることだけご了承ください。

 

私は高校1年生の時から付き合っていた年上の男性と、二十歳の時に結婚しました。歳の差こそありましたが事はとんとん拍子に進み、私も限られた友人と当時私が熱を入れてしていたオンラインゲームのフレンドに結婚する報告をするとそれはもう自分のことのようにみんな喜んでくれていました。

 

結婚式も元夫の知り合いが勤務する美しい洋式の会場で、私に似合わないほど煌びやかな式を挙げました。

 

その時にはもうすでに勤め先を退職し、あとは転出転入と入籍の手続きを済ませるだけでした。結婚式を終えたその日は母と祖母が新居に泊まり、翌日実家に帰ったのですが、この時のもう私は実家に帰れないんだという感情はとても印象的でした。

 

それから私は新しい家で過ごすのですがそこは元夫の実家でして、義母は亡くなっていましたが義父は存命ですから、私と元夫と義父の三人で暮らすことになりました。このことに関してずっと嫁入りは嫌だとは思っていたのですが、特に何の相談もなしに当たり前のように事が進んでしまって言い出せませんでした。今思えばこの事についてもっと話し合いをしていれば現在まで話がこじれることはなかったんではないかと思います。

 

しかし、新婚で幸せであろうとすればするほど不安は膨れ上がり、ある時問題が発生しました。

 

義父と元夫の仲が悪く、喧嘩を始めると物を投げたり机や壁に当たり散らす始末でした。おまけに二人は頑固で自分の意見は絶対に曲げない質です。もしかしたら男所帯だとそうして喧嘩をするのは普通なのかもしれませんが、私の家庭では怒鳴り散らすことも怒鳴り散らされることもなかったので完全に恐怖を感じてしまって二人が喧嘩する度に4畳半程度の物置部屋にこもって夜中泣いていました。

そしてまた問題があって、頑固で自分の意見を押し付ける義父と私もまた仲が悪く、私が元夫に相談すると頭に血が上り義父と元夫の喧嘩が始まります。

 

私が言うことは元夫にも義父にも伝わらない。ただ今まで生きてきた環境が違うから、気に入らないところがお互いにあるのは仕方がないと理解してほしかったけれどそれは難しく、いつしか私は押し黙るようになりました。

 

そして一度そうなってしまうと相手のすべてが嫌になってしまって、無遠慮な扉の開閉音や歩く音すら嫌悪感を覚えるようになります。掃除は毎日しているのに部屋の隅に埃が残っているからと、これ見よがしに掃除をされるのも嫌で嫌でたまりませんでした。ましてや私は一人の時間がとても大切で、義父や夫が居ない昼間に休息をとっていたのにその時間を邪魔され続けることでうつ状態になるほどストレスを抱えることになります。

 

しかしそこまで状態が悪化しても離婚に踏み切らなかったのはひとえに祝福してくれた友人達へのせめてもの恩義と罪悪感があったからでした。正直刃物を持てば自死することを何度も考えたし、離婚する準備を整える為に少しずつ実家に私物を送って物を片づけたりもしました。けれどあんなに嬉しそうに祝福してくれた友人達をガッカリさせるようなことできましょうか。

私たち夫婦の自己満足で開催した結婚式に、わざわざ時間とお金をかけてもらって祝福してもらいました。そのすぐ後に離婚をすることは裏切りだと思っていました。

 

それから、日に日に衰弱していく私を見て、見かねたのか元夫なりに別居するなど対策をしてくれましたがその頃にはもう手遅れで、夫婦としては十二分に破綻していました。当時の私の気持ちは「散々別居したい、どうにかしたいという話はしたのに何を今更」という気持ちでした。

 

お互いに仕事して帰宅してごはんを食べて、お風呂に入って寝るだけの生活を1年程度続けた裏で、私は悟られないように物を片づけたり必要書類を集めたりと離婚の準備を整えある日突然元夫に離婚届を突きつけました。

 

私が命の次に大事にしていたパソコンまで実家に送ったことを知った元夫は、あまりの用意周到さに淘汰され意気消沈気味にサインをしてくれました。悟られないように事を進めていたのは確かですが、物を片したりというのは私の私室をみればわかることです。それでも気が付かなかったのはきっと毎日しんどい仕事でそれどころではなく、私への興味がほとんどなかったのだと思います。

 

離婚届にサインしてもらう際身の危険を感じたら夜中だろうとそのまま必要な荷物だけ持って外出するつもりでしたが、思っていたより元夫は穏やかでした。最後の夜だからと彼は私の寝床の隣に布団を並べましたが、私は怒鳴り散らされるイメージが強くいつ刺されるか不安でその日はろくに眠れませんでした。

 

翌朝はバケツをひっくり返したような雨でしたが、私はもうこの土地に戻ってこなくて済むよう実家に帰る為に外出したその足で市役所に向かい事を済ませました。

 

 

確かに彼と出会って、私はとてもアクティブな性格になっていいこともありました。以前ならあまり興味を示さなかった釣りや麻雀なんていうのも少なからず彼からの影響があると思います。けれどその為に一緒に居るのは、私には苦しすぎました。

 

私と元夫・義父が相いれなかったのは、私が怠惰でずぼらだからだと思います。若いからという理由だけできっと2・3年間許されてきた面も恐らくあると思います。

 

けれどこれからを一緒に過ごすにはお互い辛いのが目に見えていますから、きっと離れて正解だったと少しも後悔せずに言えます。また、離婚を切り出された元夫はその時とてもしんどかったと思いますが、私は私の人生を大事にするだけの気力が残っていてよかったと思います。

 

あのまま過ごしていたら私はきっとこの世に居ないと思うから。