LIFEluencer

LIFEluencer(ライフルエンサー)は毎日を控えめに彩れるような情報を取り扱っているウェブサイトです。ガジェット・ツール・便利グッズ等の情報発信はもちろん、「お母さん」が作るナチュラルでかわいいハンドメイド品の販売もしています。

MENU

何もない私が考える将来の夢。生きづらい社会に居る自分

アイキャッチ画像


こんにちは。ここ最近趣味のゲームの話が続いていましたが、今回は別の話をしようと思います。

 

私は昔から旅行と機械が好きで、現在までずっとそれに沿った生き方をしてきました。そんな中好きだけれど将来の夢にはならない、将来の夢がないという悩みがありました。学生時代周りが将来の夢について熱く語っている中で、私には何もない。特別な技能があるわけでもない、好きなことについて詳しいわけでもない。私には本当になにもありませんでした。

 

そんな中ただ好きなままでなるように25年生きてきて、ようやく私のしたい事が定まってきました。

 

今私がしたいことは「私が好きなことを全て詰め込んでそれを仕事とすること」。具体的には、旅行やゲーム、機械、料理等いずれかの分野をテーマに本格的にブログを開設してアフィリエイトである程度の稼ぎを持つことです。当然そう簡単ではないのは重々承知なのですが、どうしても私が会社員として仕事ができるビジョンが浮かばずフリーで仕事をするのが一番だと思いました。

恐らく私と同じようなHSPの方々も同じ状態にあって、生活するために仕事をしなくてはいけないものの誰かと過ごすこと自体が苦痛に感じている方は多いと思います。もし万一にも、私がここで成功したらそういう人たちも後に続きやすくなります。得意じゃなくてもいい、何か一つ「何があっても好きでいられて頑張れること」があればそれを仕事にして生活が出来るということが確立すれば、当サイトに来られている人もそれに倣って精神的に楽な生き方ができるかもしれません。そして今まで精いっぱい頑張ってきた方が楽な生き方へと流れることは悪いことではないと思います。

 

この社会は、特に日本の社会は私たちのようなセンシティブな性質を持つ人にはとても苦しく生きづらいです。朝ご飯を食べて、早朝から仕事に出かけて、上司に叱られながら仕事をして、死んだように帰宅して、お風呂に入って、夕食を済ませて寝るだけの生活が人間的文明的と言えるでしょうか。社会を変えるなんていう大それたことを言うつもりはありませんが、せめてこういう生き方もできる、努力すれば自分にも可能性がある、ということが証明出来れば幸いです。一朝一夕で進む物事ではありませんが、長い目で見守っていただければと思います。

 

これから私は私ができる「執筆」と「趣味」、「人生観」という技能を用いてブログやその運営について学びながら今はまだ曖昧な夢に向けて進みます。今はこんな私にも将来の夢が出来たことを喜んでくだされば私も幸福です。

 

本日はそのお話だけしたくて記事にしました。些末なことだったかもしれませんが読んでくださってありがとうございました。

ゲーム好きからみたゲーム業界。業界が疲弊する理由はオンライン化の多用にある

初めに。この話をするにあたって、私はゲーム業界に詳しいわけではありませんので、個人的な感想として記事にします。それを踏まえてお読みくださると幸いです。

 

先日、ゲームニュースを読んでいるとこんな話を見かけました。

真・女神転生III NOCTURNE HD REMASTERが2020年10月29日(木)に発売決定」

幻想水滸伝の意志を継ぐゲーム百英雄伝。記録的スピードでキックスターターキャンペーンの目標額達成」

女神転生幻想水滸伝と言えば、私が小学生中学生時分のほとんどを使って遊んだゲームです。ペルソナ2罪罰、アバタールチューナー幻想水滸伝V等々もう何周もしてきました。そんなゲームがこれから先進化して遊べることに感動しています。

 

近年のゲーム事情はあまり芳しくありません。制作側にも色々問題があるのもわかっているつもりですがあえてプレイヤー側として意見を述べます。近年のゲームは営利主義であり、過去の楽しいという気持ちは薄れています。

例えば、あつまれどうぶつの森というゲームですが、このゲームは資材を集めてのんびりライフを送るというコンセプトで島づくりや部屋づくりを楽しむゲームです。ところが蓋を開けてみればインターネット通信をしなければ好きな家具やモノは手に入らず、ゲームの楽しみに欠けています。あつまれどうぶつの森は予約で購入しましたから、ダウンロード版で約8千円くらい。そこに通信をしなければならないとあればニンテンドースイッチオンライン(サブスクリプト)に1ヶ月308円、12ヶ月2,400円支払っていく必要があります。

 

ここで、考えていただきたいのがコンシューマーゲームとしての在り方はそれでよいのかということです。コンシューマーゲームとはそもそも家庭用ゲーム機でのプレイを前提としているゲームであり、従来ソフト一本ですべてが完結しているものでした。当然前述した幻想水滸伝や真女神転生などもソフト一本で完結しています。

しかし最近のコンシューマーゲームはソフト+オンライン(または課金)でようやく100%のゲームとして完成します。ソフトが100%、オンラインを足すことで120%というプレイが出来るのであればこうも文句は出ないでしょうが、近年出ているコンシューマーゲームでは30%がいいところです。

確かにオンラインに依存するとバグ修正や、継続して楽しんでもらえる為のアップデートをすることは容易です。しかしその為にソフトのみの値段で保証されるべきの楽しみを省くことは正しい在り方なのでしょうか。

 

これはプレイヤーとしての正直な意見ですが、オンラインゲームが数多く存在している以上コンシューマーゲームに通信機能は一切求めていないし、8千円・9千円という大金を支払っておいて3割・4割の出来ではあまりに粗末というものです。ゲーム業界が疲弊する理由はそこにあると思います。オフラインで遊びつくすというのがコンシューマーゲームの良さであるのに、今のコンシューマーゲームはそれをつぶしてしまっている。

オンラインゲームとの線引きを早いところ行わないとこれからも疲弊していく一方だと思います。

 

 

冒頭に戻りますがそういった意味で、今回の女神転生や百英雄伝の話はとても期待が持てます。何せ古き良き時代を一手に支えたエンジニアたちが集結してその意思を継ぎ、進化したゲームを新たな形で産もうとしているのですから。

学ぶことは文明人としての生き方。とりあえず、資格取ってみよう

私は商業高校の出です。今ではもうない学科だそうですが総合情報ビジネス類という、社会人としてプロフェッショナルを育成する学科でした。通称アドバンスドクラスと呼ばれ、他の科より優秀な人材が集められるクラスです。6クラスある中の2クラスしかなく、より高度な資格を取得できるよう1年次には朝礼前と放課後に補修が特別に用意されていました。

1年次は私のあだ名にまでなった議長(クラス委員長)に任命され、クラスの為に尽くしてきたつもりだし、優秀でなくてはならないという意識からうつ状態になるほど必死で勉強もしました。私は決して賢いわけではなかったですが、面白いくてあまり害のないクラスメートに囲まれていたしとても恵まれた環境だったと思います。

 

大人になった今だから感じますが、勉強したい事柄に対して社会人はお金がかかりすぎる。パソコンの勉強をしようにもパソコン教室に行くとたった少しの内容量で普通に生活していると大金を要求されるのですから少し不服。もちろん高校に行くということは学費がかかっていること前提ですが、学費以上の価値はありました。

私は高校1年次から自分が取れそうな資格はどんどん取っていきましたし、情報処理部に所属していましたから顧問に教わってITパスポートという国家資格まで得られました。仮にこのような環境になかった場合、恐らく国家資格を取ろうとも思わなかっただろうし独学で勉強しても合格しなかったと思います。

 

欲を言えばもっとたくさんの資格を在学時に取りたかったですが、通常科目も当然あるので頭がいいとは言えない私はそれどころではありませんでした。

 

高校時代、そうやって過ごしてきた私は大人になった今でも何かしらの資格取得に向けて勉強を続けています。これが今になって就活だったりに役立つかはわかりませんが、何かに向けて頑張れる姿勢はこれからも継続していきたいと思っていて、その時必要に感じた資格を取得しています。

 

これは私がお年寄りになっても続けていきたいことです。

 

資格取ってみたいけど今からじゃ遅いかなーって思ってる方もきっと多いのだと思いますが、資格として取得するかはともかく興味のあることを学ぶことは決して無駄にはならないと思うので何か一つ簡単なこと、始めてみませんか?

 

学ぶことは人としての喜びで、知識は人としての魅力です。

自分を大事に出来ない結婚生活はしないという選択肢

今回のお話は私の結婚生活の話です。これは受け入れられないわ!と思った方は記事の途中でもすぐにブラウザバックしてください。私が悪い、元夫が悪いというお話ではなく、これが私の人生の一部であることだけご了承ください。

 

私は高校1年生の時から付き合っていた年上の男性と、二十歳の時に結婚しました。歳の差こそありましたが事はとんとん拍子に進み、私も限られた友人と当時私が熱を入れてしていたオンラインゲームのフレンドに結婚する報告をするとそれはもう自分のことのようにみんな喜んでくれていました。

 

結婚式も元夫の知り合いが勤務する美しい洋式の会場で、私に似合わないほど煌びやかな式を挙げました。

 

その時にはもうすでに勤め先を退職し、あとは転出転入と入籍の手続きを済ませるだけでした。結婚式を終えたその日は母と祖母が新居に泊まり、翌日実家に帰ったのですが、この時のもう私は実家に帰れないんだという感情はとても印象的でした。

 

それから私は新しい家で過ごすのですがそこは元夫の実家でして、義母は亡くなっていましたが義父は存命ですから、私と元夫と義父の三人で暮らすことになりました。このことに関してずっと嫁入りは嫌だとは思っていたのですが、特に何の相談もなしに当たり前のように事が進んでしまって言い出せませんでした。今思えばこの事についてもっと話し合いをしていれば現在まで話がこじれることはなかったんではないかと思います。

 

しかし、新婚で幸せであろうとすればするほど不安は膨れ上がり、ある時問題が発生しました。

 

義父と元夫の仲が悪く、喧嘩を始めると物を投げたり机や壁に当たり散らす始末でした。おまけに二人は頑固で自分の意見は絶対に曲げない質です。もしかしたら男所帯だとそうして喧嘩をするのは普通なのかもしれませんが、私の家庭では怒鳴り散らすことも怒鳴り散らされることもなかったので完全に恐怖を感じてしまって二人が喧嘩する度に4畳半程度の物置部屋にこもって夜中泣いていました。

そしてまた問題があって、頑固で自分の意見を押し付ける義父と私もまた仲が悪く、私が元夫に相談すると頭に血が上り義父と元夫の喧嘩が始まります。

 

私が言うことは元夫にも義父にも伝わらない。ただ今まで生きてきた環境が違うから、気に入らないところがお互いにあるのは仕方がないと理解してほしかったけれどそれは難しく、いつしか私は押し黙るようになりました。

 

そして一度そうなってしまうと相手のすべてが嫌になってしまって、無遠慮な扉の開閉音や歩く音すら嫌悪感を覚えるようになります。掃除は毎日しているのに部屋の隅に埃が残っているからと、これ見よがしに掃除をされるのも嫌で嫌でたまりませんでした。ましてや私は一人の時間がとても大切で、義父や夫が居ない昼間に休息をとっていたのにその時間を邪魔され続けることでうつ状態になるほどストレスを抱えることになります。

 

しかしそこまで状態が悪化しても離婚に踏み切らなかったのはひとえに祝福してくれた友人達へのせめてもの恩義と罪悪感があったからでした。正直刃物を持てば自死することを何度も考えたし、離婚する準備を整える為に少しずつ実家に私物を送って物を片づけたりもしました。けれどあんなに嬉しそうに祝福してくれた友人達をガッカリさせるようなことできましょうか。

私たち夫婦の自己満足で開催した結婚式に、わざわざ時間とお金をかけてもらって祝福してもらいました。そのすぐ後に離婚をすることは裏切りだと思っていました。

 

それから、日に日に衰弱していく私を見て、見かねたのか元夫なりに別居するなど対策をしてくれましたがその頃にはもう手遅れで、夫婦としては十二分に破綻していました。当時の私の気持ちは「散々別居したい、どうにかしたいという話はしたのに何を今更」という気持ちでした。

 

お互いに仕事して帰宅してごはんを食べて、お風呂に入って寝るだけの生活を1年程度続けた裏で、私は悟られないように物を片づけたり必要書類を集めたりと離婚の準備を整えある日突然元夫に離婚届を突きつけました。

 

私が命の次に大事にしていたパソコンまで実家に送ったことを知った元夫は、あまりの用意周到さに淘汰され意気消沈気味にサインをしてくれました。悟られないように事を進めていたのは確かですが、物を片したりというのは私の私室をみればわかることです。それでも気が付かなかったのはきっと毎日しんどい仕事でそれどころではなく、私への興味がほとんどなかったのだと思います。

 

離婚届にサインしてもらう際身の危険を感じたら夜中だろうとそのまま必要な荷物だけ持って外出するつもりでしたが、思っていたより元夫は穏やかでした。最後の夜だからと彼は私の寝床の隣に布団を並べましたが、私は怒鳴り散らされるイメージが強くいつ刺されるか不安でその日はろくに眠れませんでした。

 

翌朝はバケツをひっくり返したような雨でしたが、私はもうこの土地に戻ってこなくて済むよう実家に帰る為に外出したその足で市役所に向かい事を済ませました。

 

 

確かに彼と出会って、私はとてもアクティブな性格になっていいこともありました。以前ならあまり興味を示さなかった釣りや麻雀なんていうのも少なからず彼からの影響があると思います。けれどその為に一緒に居るのは、私には苦しすぎました。

 

私と元夫・義父が相いれなかったのは、私が怠惰でずぼらだからだと思います。若いからという理由だけできっと2・3年間許されてきた面も恐らくあると思います。

 

けれどこれからを一緒に過ごすにはお互い辛いのが目に見えていますから、きっと離れて正解だったと少しも後悔せずに言えます。また、離婚を切り出された元夫はその時とてもしんどかったと思いますが、私は私の人生を大事にするだけの気力が残っていてよかったと思います。

 

あのまま過ごしていたら私はきっとこの世に居ないと思うから。

2020年上半期に達成した小さな目標

今週のお題「2020年上半期」

 

卒業から結婚、鬱、離婚、帰省と続いた年の最後、なんとなくふわっと思っていたことがありました。私がずっともやもやと抱えていたことについて記事にしたい。新しい年が始まったら一度やめてしまったブログをどこかで再開しようと思っていました。

 

2020年上半期はそれが達成された時期です。

 

とはいってもこのはてなブログを始めたのは6月22日で記事数は14件、まだ大して投稿はしていません。けれど、ほぼ日投稿しているとそこそこの人が読みに来てくれて、たまにTwitterにリプがついて、私がしている事は意味があったんだなと思います。

 

以前にも少し話をしましたが、こうして自分のことを記事にしていると不思議と心が穏やかになります。決して文章力があるとは言えないし、面白い内容とは言えないけど、「あ、同じことを思ったことがある。」って誰かが思ってくれているならそれだけでいいかなと思います。

 

毎日投稿を目標としているわけではないですけど、できるだけ私が日ごろから思っていることをその都度記事に出来たらいいな。

 

多分下半期はあっという間に過ぎます。残りもどうぞ当ブログを宜しくお願い致します。